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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和57年(行コ)6号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

三<証拠>によると以下の各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 被控訴人は昭和五一年三月富山大学教育学部を卒業し同年四月一日控訴人より任用期間を六ケ月間とする臨時的任用にかかる職員として在宅児等の訪問指導を嘱託され、以後六ケ月毎に嘱託期間を更新され(最終の嘱託年月日は昭和五三年四月一日)、富山県立ふるさと養護学校(以下「養護学校」という。)に勤務してきたものである。

2 被控訴人は心身障害のため義務教育学校への就学義務を猶予または免除されている国立療養所富山病院(養護学校に隣接)入院中の重度心身障害者病棟内の学令対象者昭和五三年七月当時六六名のうち一三名の児童を担当し、毎日養護学校より同病院を訪れ右児童の教育指導をなす職務に従事しており、養護学校には被控訴人を含め五名の訪問指導員が勤務していたが、被控訴人ら五名の訪問指導員の児童に対するマンツウマン的な教育指導という職務内容と代替指導員のいないこととあいまつて、指導員の欠勤は直ちに右在宅児童に対する教育指導の業務に支障を招く状況であつた。

3 被控訴人は昭和五三年七月一日夜、約一〇名とともに二台の自動車に分乗して、富山を出発約一二時間を要して翌二日成田市に着いたのち、同日行われた成田空港反対闘争に参加し、同日午後六時頃、同市三里塚十字路付近で公務執行妨害罪の現行犯として逮捕され引続き千葉県佐原署に勾留のうえ同月一四日処分保留のまま釈放され、同月二二日付をもつて起訴猶予とされた。当時成田空港反対闘争は世上に喧伝されており、右闘争参加者が警備の警察官に行動を規制されて逮捕勾留されることもあるべきことも予測されないではなく、被控訴人も右の危険を知りながら前記闘争に参加したものである。なお、右身柄拘束中、被控訴人は終始、氏名、身分を含め黙否権を行使していたが、同月五日には弁護人と同月一〇日には父親と面接している。

4 養護学校校長川倉馨は、被控訴人の友人である弓井啓子から、同月三日午前九時頃、被控訴人が38.9度の発熱のため欠勤する旨の、同月四日午前八時三〇分頃被控訴人が病気のためあと二、三日欠勤する旨それぞれ電話連絡を受けた。

5 川倉馨は同年七月五日富山県警察本部に出頭し、同本部で示された被控訴人の写真により、成田闘争により同月二日に逮捕され氏名不詳のまゝ引続き勾留中であり、富山県の教員である疑いのあるものが被控訴人であることを確認し、その際同本部で釈放時期は正確には不明であるが同日より最少限一〇日程は釈放されないであろう旨を聞いたのち、真ぐ控訴人事務局に出向き、経過、代替要員の必要等について報告をした。そこで控訴人は善後策を検討した結果、被控訴人が前記成田闘争に参加して逮捕、勾留されて欠勤したものであるのに、このことを秘匿し、友人と称する弓井啓子から被控訴人は発熱したため欠勤する旨電話で虚偽の申告があつたものであるうえ、更に勾留により一〇日間以上の長期の欠勤が予測され、それ以後も確たる出勤可能時期は不明である事態を招いた被控訴人の所為は前記学校の運営、規律の保持上著しい支障を来すものであり、在宅児等の教育指導に従事する在宅児等訪問指導員としての適格性を欠くものとして、同月五日夕方被控訴人を免職処分とすること及び代替要員の採用手続を進めることを決定し、同日付で被控訴人に対する免職処分を発令し、代替要員は同月八日の面接を経て同月一〇日に小杉いずみが採用され、同月一一日より出勤して在宅児等訪問指導の職務に従事している。

6 同月一一日頃、同月一〇日付の富山南郵便局の消印のある被控訴人から前記学校長宛の欠勤届が提出された。

四右認定の各事実に照らし本件免職処分の適法性について判断する。

1 <証拠>によると、弓井啓子は自己の意思で養護学校に電話で被控訴人が病気のため欠勤する旨の前記連絡をしたものであり、電話連絡をしたことが被控訴人の依頼によるものでなかつたことが認められる。しかしながら、控訴人としては被控訴人と弓井啓子との間の関係は分明できない事情にあつたのであるから、右電話連絡は被控訴人の意思に基くものと判断したとしてもやむを得ない面がある。

被控訴人が逮捕、勾留されたのち、仮に接見禁止決定がなされた(もつとも前記認定の弁護人、父親との面接の点より右決定がなされたとの被控訴人の主張には疑問がある)としても、取調の警察職員その他の者を通じて養護学校長へ欠勤の申告など自ら連絡する途を講ずることも可能であつたと考えられるのに、右身柄拘束後速かに所属長への欠勤届の提出、あるいは、これにかわる連絡等について配意したことは全く認められない。したがつて、被控訴人は同月三日から本件処分がなされた同月五日まで無断欠勤したものというべきである。

2 本件免職処分がなされた同年七月五日当時被控訴人はすでに三日間欠勤していたのみならず、更に逮捕、勾留により少くとも一〇日間程度の出勤不能が予測されたのみならず、その後も確実にどの時点で欠勤事由が消滅するものであるかの判断は不可能な状況にあり、この様な状況のまゝで被控訴人の職場への復帰を待つことは、学校運営、規律の保持、児童の教育、指導上支障となるため代替の在宅児等訪問指導員を早急に補完する必要があつたばかりでなく、被控訴人の在職のまゝで新たに一名の在宅児等訪問指導員を採用することは予算措置上困難な事情があつた。

右1、2及び前叙二、三で認定した事実関係のもとで、被控訴人が成田空港反対闘争に参加して逮捕、勾留され、かつ相当期間の欠勤が予測されるのに所属長に対し届出をなすことなく欠勤したことは、前記職務に従事する公務員としての義務を怠り、規律を害するものであることは明らかであり、また、在宅児等の教育指導の嘱託を命ぜられその業務に従事していた被控訴人の地位、職務の内容を考えると、控訴人のなした本件免職処分は控訴人が任命権者として認められる裁量の範囲を著しく逸脱し任免権を濫用した違法のものであると判断することはできず、裁量権の範囲内の処分として是認するのが相当である。

(山内茂克 三浦伊佐雄 松村恒)

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